テクノン Teknon (English) |
TK 11-250 |
18世紀フランスの音楽 マラン・マレ(1656-1728):パリの聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘(*) シャルル・デュパル(?-1740頃):組曲ヘ長調(+) フランソワ・クープラン(1668-1733): 趣味の融合、あるいは新コンセール集 から 愛人の肖像(*) ジャック・オトテール(1680頃-1761):組曲ホ短調(+) マラン・マレ:マレ風ソナタ(+)
マレイケ・ミーセン(リコーダー) 録音:1989年9月、オランダ、ベネブルク、オランダ改革教会(リマスタリング:2001年)
どういうわけでこのようなレコーディングが残されていたのかは不明ですが、ビルスマとウィスペルウェイという異色の師弟が、ヴィオラ・ダ・ガンバで演奏されることの多いパートを、それぞれピッコロ・チェロとチェロで弾いているのが注目どころです。 |
TK 11-251 |
17世紀オランダとイタリアの音楽 ヤコブ・ファン・エイク(1590頃-1657):Praeludium ofte Voorspel(1649) 作曲者不詳(ネーデルラント、1580頃):Bruyns Medelyn (アルマンドとリプライズ;スサンネ・ファン・ソルトの手写本から) ヤコブ・ファン・エイク:Fantasia en Echo(1649) ヤン・ピーテルスゾーン・スヴェーリンク(1562-1621): 大公のバレット(フィレンツェのアリア) ヤコブ・ファン・エイク:Doen Daphne d'over schoone Maeght(1649) コルネリウス・ティマンスゾーン・パドブルエ:パヴァーヌとガイヤルド(1641) ジローラモ・フレスコバルディ(1583-1643): 「ラ・ボンヴィスタ」によるカンツォーナ第1番(1628) ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョ:カンツォーナ(1620) バルトロメオ・セルマ・イ・サラベルデ(1570頃-1638頃): カンツォーナ第3番(1638) 不詳(イタリア;1600頃): フィレンツェのアリア(ラヴェンナの手写本/Classense 545から) チプリアーノ・デ・ローレ(1516-1565)/ ジョヴァンニ・バッティスタ・スパーディ・ダ・ファエンツァ:別れの時(1624) ジョヴァンニ・バッティスタ・フォンターナ(?-1630):ソナタ第2番(1641) ジローラモ・フレスコバルディ: バッサ・フィアメンガ(アルマンド「Bruyns Medelyn」)によるカプリッチョ(1624) ジョヴァンニ・マルティーノ・チェザーレ(1590頃-1667):ラ・フォッカリーナ(1621) ダリオ・カステッロ:ソナタ第2番(1629) ジョヴァンニ・マルティーノ・チェザーレ:ラ・ジョルジーナ(1621)
マレイケ・ミーセン(リコーダー) 録音:2000年5月、オランダ、フェーネンダール、シトゥディオ・ファン・スフッペン
旋律楽器をソロとした楽曲の生まれた17世紀イタリアと、その影響をただちに受けたオランダの音楽を収めたアルバム。 |
TK 12-252 (2CD) |
ヨハン・ゴットフリート・ミューテル(1728-1788): 「3つのソナタ、2つのアリオーソと12の変奏曲」(ニュルンベルク、1756)から ソナタ第1番ヘ長調/ソナタ第2番ト長調/ソナタ第3番ハ長調 アリオーソ第1番ト長調/アリオーソ第2番ハ短調 12の変奏曲 ベンノ・ファン・デルフト(クラヴィコード)
使用楽器:1763年、ハンブルクにてJ・A・ハース製
ミューテルはドイツの作曲家・オルガニスト。1753年にリガ(当時ロシア帝国領、現ラトヴィア)に移住し、宮廷と教会に職を得て活躍、生涯独身のまま当地に没しました。自己の内面を音楽で表現しようと試みた彼は当時は特異な存在であり、そのため「シュトルム・ウント・ドラング(疾風怒濤時代)初期を代表する最も片意地な作曲家と呼ばれていますが、鍵盤ソナタの中間楽章における大げさなまでの表現の追求は、彼が手本としたC・P・E・バッハのそれをはるかにしのいでいるといわれています。 |
輸入・発売:サラバンド
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